福建省厦門(アモイ)郊外で大理石を探すツアーに行った最終日、以前から行きたいと願っていた客家土楼(はっかどろう)を見学してきました。

客家土楼は中国南東部の客家(ハッカ)の人たちが、山の中に建てた一族で暮らすための集合住宅です。歴史的に客家の人たちは中原から戦火を逃れてこのエリアに移り住んできましたが、周りの人たちと溶け込まず、人里離れたエリアに自給自足で暮らすスタイルを選びました。強盗や野獣から身を守るために周りを土壁で囲んだ中に暮らすという生活スタイルで、当初は大きめの住宅のような建築様式でしたが、一族の人数が増えるに従い、建築を進化させて、方形(四角)や円環状の土楼へと発展してきたそうです。特に福建省に集中しているため福建土楼とも呼ばれています。

以前に福建省に大理石ツアーで行った際には、厦門市内から往復で丸一日掛けても回れないといわれて諦めたことがありましたが、世界遺産となり観光客が増えたことで、新しい高速道路が通ったとのこと、一日のツアーで幾つかの土楼を回ることができることが分かり、大理石ツアーのメンバー全員で行ってきました。

下を歩いている人と比べることでその巨大さが分かりますね。この土楼は「土楼の王」とも呼ばれる承啓楼です。直径約側73メートル、高さ16メートル、外周部は4階建てという大規模の土楼です(サイズ的にはもっと大きな土楼もあるそうです)。

小さな入り口が三か所あり、焼きレンガで作られた入り口を通り抜けると、4層の円環構造になった内部が現れます。外から見るとスケールオーバーで人を避けるような建物に感じましたが、内部に入ったときの空気感や屋根が複雑に重なった様子、そしてあらゆるものがごった返した感じは、まるで一つの建物の中に町があるような感覚を覚えました!

外環部分は外壁が土製の版築(土を枠に入れて突き固めた)壁で、内側が木製の4階建てとなります。

階段が4か所にあり、上階の住居部分へと上がってゆくことができます(この土楼は宿泊する人以外は上階には行けないのですが…)。階段は折り返し型で、上階は中廊下型となっています。

1階部分ももとは住居でしたが、今は窓台を開閉式のお店にしたお土産物屋さんやお茶屋さんとなっています。

2重目の円環(中環)は、主に共用の水回りとなっています。手前の開口部奥には洗濯機が見えますし、その右には中華鍋が外壁に吊るしてあり、シンクもありますね。奥にはトイレもありました。水回りは個人のものではなく、皆で共同で使うスタイルとなっています。以前はキッチンは外環の1階部分にあったそうですが、観光地化された承啓楼では住む人の人数が減ってきたことで、機能も移ってきているようです。

外環と中環の間の床は、このように凹凸が付けられ、雨水や生活排水を流すシステムとなっています。今はトイレは汚水管に接続され、水も給水管が来ているようですが、以前は、全て自然排水で、給水も土楼内に掘られた井戸から供給されていたそうです。

中環の内側には3層目の円環(内環)があり、かつては共用部として使われていた小部屋が並んでいます。外環で使われている壁材は土を干して固めた日干しレンガなども使わていましたが、内側に入ってくるほど、焼成されたレンガや石などが使われて、より耐久性が強くデザイン性も強くなっています。

中環から内環へ抜ける通路は下部は焼成煉瓦ですが、上部は日干し煉瓦ですが…、

中環から内環への通路となると、全てが焼成煉瓦となっていますね。

煉瓦積みのパターンもとてもきれいなのです。

4層目の円環が、一族のお社である祠堂です。

祠堂は中庭型のオープンなお社となっており、特別な宗教を祭るのではなく、祖先を祀る場所となっています。

ここに住んでいるのは、江(チャン)家の人たちで、1709年に作られてから15代めの人たちで、今も200人ほどの人が住んでいるとのことでした。ガイドをしてくれた女性は、江家にお嫁に来た方で、外環の3階に暮らしているそうです。

祖廟から振り返ってみるとこのように屋根が複雑に絡み合っているのが判ります。

外環の1階部分のかまどがあるお部屋の内部です。かまどの上にも小さな先祖を祀る祠がありますね。

東西には風が通る道を兼ねた一直線に通る道が抜けています。

福建土楼は外側は燃えにくい版築造となっていますが、内部は木造で火事に弱いのが問題で、これまでにも幾つもの土楼が失火が原因で焼けてしまっているそうです。この土楼では、円環状の外観の途中4か所に、版築造の防火壁を作って、延焼を防ぐ工夫をしているそうです。また、スプリンクラーこそありませんが、消防施設も設置されてきているそうです。

円環土楼の承啓楼を出ると、すぐ隣には方楼(四角い土楼)の世澤楼があります。

庇がつばぜりあいをするほど近くに接しているのです。残念ながら、世澤楼は修復工事中とのことで、今回は見ることができませんでしたが、歴史的には四角い方楼の方が古く、円楼の方が後からできているそうです。世澤楼も同じ江一族の土楼だったそうです。版築壁は雨水に弱いので、なるべく庇を大きく出して雨風を防ぐとともに、窓回りは漆喰で固めて、水が入り込まないようにしているのが判りますね。
他の土楼も見学しましたが、長くなりそうなので、続編を書きます。