Author Archives: Kenji Kagami

設計業界では亜流であったリフォーム・リノベーションに、十数年前から真剣に取り組んできた設計事務所、カガミ建築計画の各務謙司(カガミケンジ)です。 学生時に初めて設計したプロジェクトがリフォーム、ニューヨークでの建築修行時も高級マンションリフォームに特化した設計事務所勤務、帰国してからもリフォームの仕事が圧倒的に多く、リノベーションに特化したカガミ・デザインリフォームのブランドを立ち上げ、上質リフォームの普及に尽力してきました。

カガミ建築計画の新事務所移転計画-4_造作家具・建具・大判タイル

[カガミ建築計画事務所移転計画]

南青山の新事務所の工事レポートの第4弾です。

造作家具と建具をお願いしている現代製作所から廊下の建具枠が届きました。トイレと物置の建具がすぐ近くに並んでいるので、2連の枠を作ってもらいました。

時間とお金があれば、上枠は一体で作りたかったのですが、今回は余裕が無かったので、枠材と同じ材で2つの塗装枠を同材で連結してもらいました。

後で石膏ボードが張られてくると2連の枠という意味が分かりやすと思います。

打ち合わせ室の2つの窓回りにはウォールナット突板で作った三方枠も取り付きました。2つの窓の間のベニヤ板張りの小壁部分には、後日大理石のオデッサベージュを貼ってもらう予定です。

その小壁には部屋への給気口がついていましたが、新しい打ち合わせ室では、野暮や給気口は見せたくなかったので、この写真の細いグリルを小壁のわきにつけてそこから給気をする計画としています。

三方枠は正面から見ると分かりにくいですが、この写真の右側のように横から見ると、しっかりとした枠の存在感が良く見えてきますね。因みに正面はビニールクロスをパネル張りして、大型のモニターを設置することになっています。

三方枠が入った打ち合わせ室にインナーサッシの部材が入ってきました。こちらのお部屋は目のまえを遮るものが無い立地で、かつ大きな窓が南西向きなので、夏の暑さが予想されるので大窓全てにインナーサッシを入れることにしていました。

左側の左右引き違い窓のインナーサッシは問題ありませんでしたが、右側は突き出し窓となっており、同じサイズの突き出し窓タイプのインナーサッシは見つからなかったので、FIX窓(嵌め殺し窓)としました。一旦FIX窓を設置してしまうと、内部の埃は取る術がなくなってしまうので、職人さんが丁寧に清掃してくれています。

玄関タタキ床、トイレ床、キッチン床のタイル張りが始まりました。まずこちらはトイレ床です。イタリア輸入タイルマラッツィグリスフルーリーの600角をウマ張りにして貰っています。因みに正面壁には壁排水タイプの便器を使うので、その排水口と給水とコンセントが設けられており、壁仕上げ材のカラーガラスも先行して張られています。

こちらが張りあがったトイレ床です。

その後はキッチン床です。同じグリスフルーリーですが、リズムを作りたかったので、300×600サイズにカットした貰ったものを互い違いに施工して貰っています。

職人さんはキダマーブルの皆川さんです。弊社の仕事を十数件手掛けて貰っているので、こちらが求めていることをほぼ全てわかってくれている職人さんでとても頼りになるのです。

やはりキダマーブルに取り付けをお願いしている打ち合わせ室のカウンター材(左側、5年前にお手伝いした港区R邸の床材ツンドラゴールドの残りだったそうです)とトイレのカウンター材(ミストグレー)、

さらには打ち合わせ室の小壁に貼るオデッサベージュも現場に届いていました。

廊下の分電盤をパナソニックのフレキシードに交換する工事、電気屋の稲村さんが頑張ってくれています。古い分電盤から新しい分電盤に切り替える工事、全て事前に用意をしておいてくれたので、20分ほどの作業で完結してくれました。最後は日置のテスターでアンペア数(電流)とボルト数(電圧)を測定して完成です。

最後に分電盤のフタを取り付けて完成です。周りの壁は白く塗装されることになっているので、普段は邪魔者扱いされる分電盤が、周囲に違和感なく溶け込むデザインとなるハズです。

その他、トイレのクロスパネル張りの下地や、

巾木を壁とフラットに収めた面巾木(ツラハバキ、またはメンハバキ)の見切り材の収まりも出来上がってきています。後は残りの造作家具と建具と塗装待ちとなってきました。

大型メゾネットリノベの解体・設備・再構成

[渋谷区L邸]

超大型メゾネットリノベの渋谷区L邸の工事は、下階の解体作業が進んでいます。

床壁天井が剥がされ、窓枠の木製サッシと天井のエアコン(まだ築浅なので再利用予定)以外がほぼスケルトン(骨組み)にまで解体されています。

ただ、イタリアの超ハイブランドキッチンのアルクリネアで作られたキッチンと、

メゾネット上階との行き来に使われるこちらの室内階段だけは残されています。

エアコンについては、新築時から一度大規模リフォームされており、その際の図面の更新記録が乏しかったので、天井を剥がしたこの段階で、再検討が必要になってきました。因みにこちらのお宅は全て天井裏にエアコン本体を隠して、ダクトで吹き出し口と吸い込み口を連結する隠蔽型エアコンとなっています。

天井裏隠蔽型エアコンを検討する際には、エアコン室内機本体が設置される個所、エアコン本体を点検する点検口とフィルター清掃用の点検口、ダクトのルート、冷媒管とドレイン管の位置、そして将来的にエアコン室内機本体が壊れた時にどのようにして交換するかがチェック項目となります。ここではドレイン管のルートを三井デザインテックの施工チームと、設計チームで確認している様子です。

エアコン室内機本体に接続される管はこれだけ沢山あるのです。

ほぼスケルトン状態の下階の階段横に打合せテーブルを用意してもらい、設計側と施工側で現場定例をしているようです。この室内階段の周囲に防火区画が設けられるので、その取り合いを現場の設計担当の見上さんが説明しれています。

下階の玄関から個室への廊下沿いに新しく手洗いカウンターを設置する箇所は、床大理石タイルを剥がしてスラブの状況と配管を確認したところ、ギリギリ排水管を設置できる余裕があることが判りました。

同時に工事進行中の上階と行ったり来たりしながら設備配管や電気配線の状況を確認しています。

こちらは洗濯機を2台並べて設置するランドリー室ですが、床下配管がほぼ出来上がっていました。

床下の配管が収まったタイミングで、オーダーユニットバスをお願いしている東京バススタイルが防水パンを持ってきて組み立て始めました。

ハクアーキテクツスタジオと考えるスチールフラットバーでつくる建具枠の精度

床下に動かせないガス管があったので、変形防水パンで一部を高くした特注のパンをレーザー水平器を使って慎重に設置してくれています。

こちらの写真は、2枚の防水パンを接続して止水するための金物を見せてもらった際のものです。

福建土楼の旅-2 方形楼に残る生活の記憶

[見学記]

前回ご紹介した「土楼の王」承啓楼(ショウケイロウ)のすぐ近くにも、見学可能で土楼が幾つかありました。今回はその中でも、より素朴で実際の生活が感じられる方形土楼・世澤楼(シセツロウ)を中心に、周辺の集落まで歩いてみた記録です。承啓楼が宗族の繁栄を象徴する建築だとすれば、世澤楼は、より素朴で生活に密着した土楼といえます。
こちらが歩いてすぐのところにある、世澤楼です。円環土楼ではなく、四方(方形)タイプの土楼です。 簡単に土楼の歴史を整理すると、初期の土楼は小規模(一族十数人程度)で、防御機能を重視した四角い「囲い型住居」でした。そこから社会情勢の変化や大家族・氏族が豊かで人が増えるにつれ、巨大な共同住宅型の土楼が建設されるようになりました。客家邸宅型建築といわれる五鳳楼(五つの鳳(棟)を持つ楼)は低層分棟型の大きな邸宅スタイルででした。そこから社会情勢が不安化するにつれ、氏族の集合住宅化と要塞化(壁が厚くなり、外壁の開口部が減ってゆく)が進み、高層階の四角形または長方形の方形楼へと変化していきます。そこからさらに氏族の繁栄と連帯感の表現や要塞化とが進み、死角がない円楼化が進みます(地形などの外的要因によっては半月形や五角形のものもあります)。 つまり、方形楼は円楼の前段階の形と言えます。
世澤楼も現在も人が住んでいる現役の土楼ですが、承啓楼ほど観光化されていない、素朴な土楼です。案内のツアーガイドが一緒であれば、上階に上がってゆくこともできます。
円環土楼のような複層になった構造はありませんが、四角い土楼の中に小さな小屋で作られた町があるような構成となっています。正面奥に先祖を祀る祠堂があり、小屋は今はお土産屋さんになっていますが、かつては厨房やゲストが泊まる部屋だったそうです。
1565年に建てられた土楼で建築面積は約 5,100 平方メートルとのこと、迷路のような複雑さはありませんが、構築的な作りとなっており、1階より2階がせり出しており、更に3階がせり出した構成となっています。
階段の様子です。四隅に階段があり、壁は日干し煉瓦、床と階段は木製となっています。火事に際しての避難口のサインは日本と同じですね。
上階に上がると、完全な木造となってきます。コーナーは隅切りされています。ところどころに部屋が飛び出しており、回廊のように循環することはできない構成になっています。 腰高の収納(内側が格子になっていて風通しがある)があって、その上に手すりが載っています。このような素朴な納まりの中に、共同生活の工夫が見えます。
手すりから見下ろすと瓦屋根が見えますが、ビスや金物等で固定されておらず、ただ重ねておかれているだけでした。もし大きな地震が起これば、瓦は一瞬で落ちてしまいそうなほど、素朴なつくりでした。
最上階まで登ると、回廊で四周を一周できる作りになっていました。
天井を見上げると、貫と束と垂木で支える典型的な木軸構造となっています。ただ、外壁側が土楼と言われる所以でもある厚みのある版築の土壁で作られています。
部屋の内部も覗けました。外壁側の窓の部分を見ると、いかに壁が厚いのかが良く分かります。
円楼も色々とあるようで、こちらの円楼は複層構造も小屋もなく、ただのオープンスペースとなっており、樹木が植えられており、ちょっとしたアゴラのような構成となっています。正面に見える祠堂の柱も柱頭のような飾り付きで、ちょっとバタ臭いデザインとなっています。土楼は比較的最近まで(1950年代頃まで)作られており、外国(特に東南アジア)でビジネスで成功した華僑が、故郷に錦を飾ってモダンな土楼を作るケースもあるそうです。 因みに1960年代に鉄筋コンクリート造の集合住宅が作られるようになって、一気に土楼の建築が止まってしまったそうです。堅牢性や施工のしやすさ、火事や地震にタイルする安全性を考えても、そうなることは自明の理ですね。
こちらでも、上階に行くに従って内側にせり出す構造になっているのが良く分かります。
街中には色々な所に大小の土楼がありました。こちらはランチを食べたレストランの横にあった土楼ですが、観光からは全く遠い所にあるような土楼で、
中もこのような素朴なもので、数人の人が住んでいるような状況のようです。土楼が世界遺産になったのは2008年のことで、それまでに打ち捨てられた土楼も多数あったようで、つい最近大都市の厦門(アモイ)から高速道路が通りましたが、それまでは日帰りで土楼を見て回るのが難しいほどのへき地だったそうです。
元々の土楼は、盗賊に狙われにくい山中にあり、周りの畑で自給自足生活をしていたのが、世界遺産で観光客が急増して生活も大きく変わったそうです。土楼を観光化してうまくお金儲けをした人は近くに新築のお宅を作ったり、却ってそのことで打ち捨てられりと大きく環境が変わっているそうです。 この段々畑の右奥に見えているのは、田螺坑土楼群です。
望遠カメラで見ると、このように円と四角の楼が折り重なっているようになっています。この写真の右上にある展望台まで登って見下ろすと…、
このように見えるのです。円楼の中を細かく覗き込むと、服が干してあったりで、人が暮らしているのが分かりますね。こちらも時間がなく、内部を見ることができませんでした。五鳳楼やより古い土楼なども見学したかったのですが、残念ながら時間切れでした。 長い年月のあいだ住人たちを守り、共同生活を通じて氏族の絆を支えてきた土楼も、今では観光と新しい生活のはざまで新しい形へと姿を変えつつあります。それでも、厚い土壁や木の階段に残る生活の跡には、初期の集合住宅ならではの沢山の工夫と知恵を見ることができました。と同時に、今の高密度ながら住人同士の繋がりが乏しい日本のマンションの住まい方に、少し疑問も感じました。何百年も前の土楼の内部には、家族や共同体の関係性を建築で支えようとした意志が強く見えました。