Blog建築家が考える
プレミアムリフォーム・リノベーション

Architects think of Premium Reform & Renovation

高級マンションリフォーム・リノベーションの設計とデザインについて。
そのプロセスとノウハウを余すところなく公開しています。

モジュールファニチャー比較_モルテーニ&GIGI

ザ・ライブラリー

ザ・ライブラリープロジェクトの横浜H邸のティザーブログです。
モジュールファニチャーとはあまり聞きなれない単語ですが、場所や用途に応じてユニットを組み替えてつくるシステマチックな家具のことです。横浜H邸のお客さまから、玄関の靴収納、寝室のクローゼットシステム、書斎の本棚を統一したブランドの統一した素材で組む提案をして欲しいとのご依頼を受けています。箱で作る家具ではなく、アルミフレームで組み上げたシャープで透明感のある作りがご希望だったので、モルテーニのウォークインクローゼットとGIGI のアルミシステムファニチャーのショールームをHさまと一緒に見て回ることとなりました。

最初に訪問したのはモルテーニのショールーム(少し前のことをブログに書いているので、まだ仮店舗の頃です)です。仮店舗の奥に小さなウォークインクローゼット(モルテーニではワードローブクローゼットと呼んでいます)が組まれていましたが、これだけでもHさまはとても素敵だと感動してくださっていました。
この小さな空間の中でも、壁出しサポートの家具と箱家具が組み合わさっていますが、素材感やディテールが統一されているので、違和感なく一つの空間に仕上がっています。

仮ショールームで見てもらえる事例が少ないので、リビングに設置できる505UPシステムも見て頂きながら、H邸ではどのような提販ができるかを一緒に確認して回りました。

こちらが事前に送った要望に沿って、モルテーニ(アルフレックス)の担当の渡辺さんが素材の候補と図面を用意してくれていました。

それらを自由に差し替えながらどのような組み合わせにするのが美しいかを皆で相談している様子です。

そして、こちらが用意してくれたr素案の図面です。とても良い感じに仕上がりそうだとHさまも感じてくれているようでしたが、一つだけ残念なのは、モルテーニシステムでは書斎の本棚コーナーをご希望の形で組み上げることができないことでした…。

次に伺ったのがGIGI(ジジ)のショールームです。浴槽ブランドのHIDEO(ハイデオ)のショールーム中にクローゼットシステムが組まれています。イタリア製部材を日本で組み上げるシステムのGIGIは、その特徴が伝えにくいブランドなのですが、一目このショールームを見てもらえると、イタリアハイブランドのシステム家具に決して劣らない質を理解していただけるのですが、Hさまも「こちらも素晴らしい!」と喜んでくださいました。
最終的にモルテーニかGIGIで決まったのですが、その結論への道筋は以下のブログでご確認ください。

ニューヨークの豪邸設計事務所チコニャーニ・カラ再訪

ニュース

ゴールデンウィーク明けにニューヨークに行ってきたもう一つの目的は、1994年から約2年間修業をさせて貰った豪邸設計に特化したCicognani Kalla Architects(チコニャーニ・カラ設計事務所)を始めとする設計事務所を再訪することでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

7年ほど前まではほぼ毎年ニューヨークに出掛けて、毎回昔の事務所に顔を出していましたが、コロナのことと娘の学校の関係で、しばらく訪問できておりませんでした。しかし、ひとたび顔を出したら、昔のボスのピエトロ・チコニャーニは笑顔で迎えてくれて、以前と変わらない下らないジョークを連発してくれました(笑)!

チコニャーニカラ設計事務所再訪

昔働いていた古い建物は取り壊しになってしまったので、僕は働いたことのない事務所でしたが、パソコン(僕の頃はまだ手書きだったので代わりに製図盤)と天井から吊るされた自転車(ピエトロのトレーニング用とのこと)以外の什器は昔と同じで懐かしい雰囲気でした。

因みにこれが、30年前に昔の事務所で働いていた頃の僕(30歳ちょと前)です…。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

かなり忙しい中で、僕らの訪問のために2時間ほどの時間を取ってくれて、どのようなプロジェクトが今動いているかを説明してくれました。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

元々は、マンハッタンのマンションリノベーションと、同じお客さまのニューヨーク郊外の別荘の新築設計が主な仕事でしたが、今はピエトロの生まれ故郷のイタリアでの仕事もかなり多いとののことで、パソコンのモニターで見せてくれたのは、アメリカ人のお客さまがベネチア市内で古い礼拝堂を購入して、それを住居にリノベーションするプロジェクトでした。
小さな礼拝堂でしたが、外観は残しつつ、内部はほぼ全て作り直し、扉の取っ手から水栓、造作家具からガラス窓まで全てカスタムメイドの特注品というコダワリのプロジェクトでした。イタリアの建築費はアメリカの三分の一程度とのことでしたが、イタリア価格で7億円、ニューヨークに換算したら、20億円(建築費でインテリアは含まず)という超高額プロジェクトでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

こちらの女性スタッフが見せてくれたのは、郊外の高級別荘地のハンプトンの鶏小屋プロジェクトでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

写真はCKAのホームページから拝借したものですが、別荘に付随した鶏小屋だそうで、珍しい鶏を沢山飼っているお客さまの為に特別に設計したそうで、鶏小屋と周囲のランドスケープだけで1億円もの費用を掛けたと嬉しそうでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

こちらもイタリアのトスカーナの海岸沿いに3軒の新築住宅を設計するという約10年掛かりのプロジェクトとのことでした。既に1軒が建っており、2軒目が建設中で3軒目はこれから設計とのことでした。一つの住宅で地階も含めて1000平米でそれぞれ古典的なデザインながら、内部の設備は最新のものとなっているとのことでした。
このプロジェクトで何よりも驚いたのは、僕が昔在籍していた頃からお付き合いのあったお客さま一家がクライアントで、その頃のお客さまは亡くなられたそうですが、その兄弟、子どもたちと連綿と仕事が続いており、このプロジェクトもその一家のプロジェクトだったということです!その一家のプロジェクトを全て合わせたら、5~60億円もの費用を任されているだろうとのことでした…。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

事務所の机レイアウトは4つの机の真ん中に打合せテーブルがあるスタイルとなっています。ちょうどピエトロの友人で、かつノグチ財団の理事でもあるアヌージュ・プリーさんが来ており、お話を聞かせて貰いました。アヌージュさんは、元々は設計事務所に勤めていた建築家だったそうですが、今はクライアント・リプレゼンタティブ(施主代理人)、つまり大きなプロジェクトで、発注者(クライアント)側の立場で、専門的な知識や経験を持ってプロジェクトをマネジメントし、設計者や施工者、コンサルタントなどとの間を取り持つお仕事をしているとのことでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

真ん中のテーブルに置かれている多様なサンプル類です。エアコンやコンロといった住宅設備や窓などの性能が重視される部品はさすがにカタログから選ぶようですが、仕上げ材や金物類はほぼオーダーで作るので、二度と同じものが作れない職人技のものばかりでした。ただ、イタリアにはまだそういった職人さんが残っているそうですが、アメリカではほとんどいなくなってしまったそうで、特注素材によっては外国にオーダーすることも多いとのことでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

廊下の素材置き場の棚に置かれているものは、ワン・アンド・オンリーの素材ばかりでした。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

昔からあまり変わっていないように見えるカタログ棚には、マーヴィンやブルム、ルートロンといった定番のものに交じって、日本のTOTOやスガツネなどのカタログもありました。

チコニャーニカラ設計事務所再訪

ピエトロは僕より15歳ほど上なので、70代前半のハズで、引退の予定を聞いてみたところ、「引退なんて退屈だから、死ぬまで設計する!」と息巻いていました。昔のパートナーだったアン・カラはもう15年ほど前に亡くなって、若い建築家のアルバート・ベッツさんをパートナーにしているので、近いうちに、事務所名からカラの名前をなくして、チコニャーニ・ベッツという名前に変更することも教えてくれました。アメリカの設計事務所は、どこもパートナー制となっていることで、創始者が引退しても、事務所が残ってゆくシステムを作っているのです。
日本では僕も60近くになってくると、転職したり引退する友人も増えてきて、今後どうすべきかを考え始めなくてはと思っていましたが、ピエトロと話をしたことで、まだまだ現役の設計者として頑張ろうという気持ちになりました!

イサムノグチ美術館記念イベント&伯父ショージ・サダオの追悼会

ニュース

ゴールデンウィーク明けの9日から約一週間、コロナ以来久しぶりのニューヨークに出掛けてきました。ニューヨークのクイーンズにある、The Noguchi Museumの40周年記念イベントに参加するためでした。

そしてその周年記念イベントの中で、4年前に亡くなった日系二世建築家の伯父Shoji Sadao(ショージ・サダオ(日本名では、貞尾昭二でサダオが苗字です))の追悼会があり、そこにスピーカーとして登壇させて貰いました。

日系2世の伯父は、僕の父親の姉のご主人で血は繋がっておりませんでしたが、僕が建築家になることにとても大きな影響がありました。僕が米国留学した時やその後ニューヨークの設計事務所で働いていた頃以降特に親しくしていました。彼は、彫刻家イサム・ノグチのパートナーとして長らく手伝い、日米の財団の設立に尽力し、美術館の建物の設計や財団理事、美術館の初代の館長としてここまで40年間美術館が続いた礎を築いた人でもありました。

40周年記念の式典の冒頭に、現在の館長のエイミー・ハウ氏が伯父の功績を称えてくれるところからスタートし、まず最初に伯父がノグチ氏と同様に長らくパートナーとして手伝った哲学者・構造家のバックミンスター・フラー氏のもう一人のパートナーのトーマス・ザング氏がスピーチをしてくれました。

フラー&サダオ&ザングのパートナーだったトーマス・ザング氏は92歳とのことでしたが、原稿なしのスピーチで、イサム・ノグチとバックミンスター・フラーと伯父とザング氏の楽しく刺激に満ちたエピソードを披露してくれました。

順不同ですが、左上から時計回りに、フラー氏の甥御でバックミンスター・フラー・インスティテュートの理事で建築家のジョナサン・マーブル氏、日本のイサム・ノグチ日本財団の名誉事務局長の池田文さん、プリンストン大学教授の構造建築家のギー・ノーダーセン氏、そして元日本財団理事長の長原理事長の代理人の和泉真実さん(故和泉正敏氏のお孫さん)がそれぞれの伯父に対する思い出をスピーチしてくれました。

英語でのスピーチは留学していた頃から約35年ぶりで、たった5~6分のスピーチでしたが、久しぶりに緊張しました…。こちらはスピーチ前に館長のエイミー氏とトーマス・ザング氏との記念写真です。僕がまだ学生だった頃に、若き学芸員としてノグチ美術館に働いていたエイミー氏が昨年館長として財団に戻ってきたことが、この縁を結んでくれた大きなカギとなりました。

マーブル氏は僕より10歳ほど年上ですが、やはり僕が学生の頃から仲良くしてもらっていた建築家です。彼の設計事務所はスタッフ100人以上を抱える大事務所になっているとのことでした。

ノーダーセン氏は、レンゾ・ピアノやスティーブン・ホール、ヘルツォーク&ド・ムーロンといった超有名建築家とコラボする構造設計者ですが、フラー氏と伯父の設計事務所がモントリオール万博のアメリカ館のガラスドームを設計していた頃に一緒に働いていた縁で伯父とその後も仲良くさせて貰っていました。ちょうど後ろの画面に映り込んでいるのが、伯父がフラー&サダオ事務所でパソコンなしで描いた、ダイマキシオン・マップです。

僕も若き日に留学した、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)の教授でもあるToshiko Mori(トシコ・モリ)氏も新卒時にフラーと伯父の事務所で働いていたご縁で、また写真を撮り忘れてしまいましたが、伯父の学生時代の一学年下だった有名建築家のピーター・アイゼンマン氏も伯父を偲んでこの会に参加してくださったそうです。

こちらは、40周年記念の会に日本から参加した面々と館長との記念写真です。左から建築家であり日本財団の理事でもあった故川村純一氏の奥さまでご自身も著名な箏曲家である川村京子さん、僕、エイミーさん、和泉正敏さんのもう一人のお孫さんの益田愛子さん、池田さん、真美さんです。四国の牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館にも長らく伺っていなかったので、これをキッカケにまた見学に伺いたいとお願いいたしました。

こちらが、伯父のメモリアル・サービスのパンフレットです。

二日間のイベントでは、大勢のお客さまを集めたマーサ・グラハム・ダンス・カンパニーの踊りや、

ドリンクやフィンガーフードが館内で提供されたパーティーがあり、

伯父伯母の友人やニューヨーク在住時の知り合いたちと旧交を温めさせて貰いました。